Special Contents TRAFECTORY of The Nobel Prize 大隅良典 ノーベル賞への軌跡

2016年のノーベル生理学・医学賞は、我が統合自然科学科(前・教養学部後期課程・基礎科学科)出身の大隅良典博士(現東京工業大学榮譽教授・基礎生物学研究所名誉教授)に授与されました。

大隅良典博士
Special Contents TRAFECTORY of The Nobel Prize 大隅良典 ノーベル賞への軌跡

2016年のノーベル生理学・医学賞は、我が統合自然科学科(前・教養学部後期課程・基礎科学科)出身の大隅良典博士(現東京工業大学榮譽教授・基礎生物学研究所名誉教授)に授与されました。

大隅良典博士
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大隅先生は、父は工学部の教授、祖父と兄は歴史学者という家に生まれ、子どもの頃は昆虫少年でした。高校では化学部で大学でも東京大学の理学部の化学を目指しますが、当時の分子生物学の進歩に興味を抱き、また前年度より募集がはじまったばかりの駒場・基礎科学科に魅力を感じて、同科に進学を決めました。東京大学の教養学部には後期課程である教養学科がありましたが、当初、理科系と言えるのは科学史・科学哲学だけでした。そこで数学から生物、地学まで理科系を網羅した基礎科学科が創られ、本郷の学部では縦割りでなかなかできなかった境界領域の研究を耕すような人材の育成がはじまったのです。

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大学院では今堀和友先生の研究室に入ります。今堀先生は第二次大戦後の優れた生化学者のひとりでしたが、基礎科学科の発足とともに生物系の担当となりました。大隅先生の奥様の萬里子さんも同じ研究室出身です。丁度駒場にも東大紛争の嵐が吹き荒れ、大学院生たちもなかなか落ち着いて研究ができない時代でした。大隅先生は博士課程の最後の2年を、直接指導を受けていた先生が移られた京都大学の生物物理学教室で過ごしました。しかし、学位修得までにいたらず、東京大学の農学部に移られていた今堀先生のところで1974年に理学博士を取得されました。その後、抗体の構造を決めたノーベル生理・医学賞のエーデルマンのところに3年間留学しました。

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1988年、大隅先生は独立した立場の助教授(現在の准教授)として教養学部・基礎科学科に赴任します。十数年ぶりの駒場です。1〜2年生の教養教育を担う駒場の教養学部では、授業などのノルマはあるものの、「自分の好きなことができる自由な雰囲気の教室」だったのです。基礎科学科で初めて自身の研究室を持った大隅先生は、「他人のやらない研究テーマ」として、タンパク質の分解過程を酵母の液胞で調べることにしました。そして着任した年に、光学顕微鏡の下における「オートファジー」現象の観察に世界で初めて成功します。三号館の実に小さな研究室でのことで、大隅先生が43歳のときでした。ノーベル賞につながる研究の根本のところが、駒場での8年間に行われたことになります。

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顕微鏡を眺めることが今も大好きな大隅先生の業績は、自分が面白いと思い定めた基礎研究をこつこつと積み上げてきた結果であり、それがたまたまアルツハイマーやがんの治療に役に立つかもしれない可能性が高まってきたもので、最近もてはやされているような「社会にすぐ役に立つ」研究とは程遠いものです。逆に言えば基礎研究が役に立つか立たないかは何十年も経たなければ分かりません。しかし、そういった「あえてゴールを絞らない」自由に多面的な教養を吸収することこそが、新しい視点をつくる原点なのではないでしょうか。駒場で優秀な研究者が育まれている理由がここにあります。

※本文は、教養学部報 第588 号「駒場が育てたノーベル賞」毛利秀雄氏 著を抜粋・加筆したものです。

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